荷風の詩碑と遊女供養の浄閑寺
吉原遊郭の遊女を供養するお寺がある。浄閑寺である。「投込寺」という胸を突かれる名前のほうが有名かもしれない。
地下鉄日比谷線三ノ輪駅の北口に出て、ちょうど駅の裏側辺りだ。歩いて1分くらいで着く。
「投込寺」として有名
新吉原総霊塔
鮮やかな色の献花が霊を慰める 吉原遊郭の遊女が亡くなると、亡骸が浄閑寺に持ち込まれた。吉原から1~2キロと一番近い寺だからである。
そうした遊女の霊を慰めるため、新吉原総霊塔が1793年に建立された。現在の塔は1929年に改修されたものである。塔の一角には「生まれては苦界し、死しては洗閑寺」という有名な句が刻まれている。
1855(安政2)年に大震災があった時には吉原遊郭の大勢の遊女が投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」とも呼ばれるようになった。
浄閑寺に埋葬された遊女は2万人を超え、その平均年齢は22歳弱だったという。どの女性も粗末なかっこうでムシロに巻かれていたという。
永井荷風の詩碑
新吉原総霊塔の真正面にあるのが、永井荷風の詩碑である。永井荷風は遊女の哀しく短い人生に何か感じるものがあったのか、小説の着想を得ようとしたのか、ここをよく訪れたという。
永井荷風は1879年生まれで1959年に亡くなっている。よく足を運んだころには吉原遊郭自体がすでに消えていた。
詩碑は関東大震災を嘆息した文章で、『偏奇館吟草』の「震災」が出典である。
感想
お寺なので、もちろん明るい場所ではない。「空気がよどんでいる」と感じる人もいる。人の死を悼み、供養する場所だから、この世とあの世が交わっているのかもしれない。
私が訪ねたのは寒い日だった。にもかかわらず、私がいた10分くらいの間に何人かやってきて手を合わせていた。特に女性が多かったように思う。遊女の苦しみを同じ女性だからこそ感じることができるのかもしれない。
それにしても、埋葬された遊女の平均年齢が22歳弱というのは言葉を失う。人生をあきらめたのだろうか。こんなものだと開き直ったのだろうか。最後までもがき苦しんだのだろうか。
浄閑寺を出て浅草方面に歩いていくと、同じ年ごろの女性がいやでも目に入ってくる。何だかまぶしく見えるのは気のせいか。
私は「22歳、22歳」とつぶやく。
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