吉原弁財天
吉原神社から道なりに歩いて左折すると、すぐに吉原弁財天に着く。道路の左側だ。鎮魂の場らしい空気が流れている。
若い男性や高齢の女性らが入っていく。私も入ってみよう。
遊女の慰霊
関東大震災で弁天池に飛び込む
吉原観音像 台東区教育委員会によると、かつてこの辺りは湿地で、いくつもの池が点在していたという。その1つが弁天池だった。吉原遊郭ができたあとに弁天池のそばに弁天祠がつくられ、遊郭楼主の信仰を集めた。
1923(大正12)年の関東大震災で吉原遊郭一帯が火に包まれ、逃げ遅れた遊女490人が弁天池に飛び込み溺死した。この遊女の供養にと1926(大正15)年、吉原観音像が建立された。
関東大震災で吉原遊郭は炎に包まれた。木造住宅が密集していたから火の回りが早く、手が着けられなかったのだろう。
そんな状況に加えて遊女が逃げ遅れた理由として、当時の吉原遊郭は遊女が逃げられないよう周囲を高い塀で囲っていたうえ、出入りする門に外側からカギがかけられたためと言われている。
それから歳月が流れた。今も献花が絶えない。吉原観音像もきれいに磨かれている。弔う人たちがきれいに掃除をしている様子がうかがえる。あの世の人たちにこの気持ちは届いているだろうか。
感想
静かな場所である。中は狭いから数分もあれば見て回ることができる。そんなところに祈りを捧げにやってくる人が少なくない。せめて後世の私たちが供養しないと浮かばれないということだろう。
命を落とした現場が阿鼻叫喚だった様子については右側の「関東大震災と吉原遊郭」欄に書いたので、併せて読んでいただきたい。この世の地獄が展開したことは想像に難くない。
観音像は高い位置にあるので見にくい。写真を撮る場合は望遠レンズのついたカメラが必要である。
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